第38番札所「金剛福寺」は
第37番札所からの距離が80Kmほどもあり
八十八ヶ所の中で札所間の距離が最も長く
歩くと3泊4日も掛かるそうで
正に「修行の道場」と言われているそうです。
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仁王門をくぐって境内に入って行くと
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目に飛び込んでくるのは大きな亀の石像。
弘法大師が沖の岩で修行する為に亀を呼んで渡してもらったことから
「大師亀」と名付けられています。
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境内はとても綺麗にお手入れされていて
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大きな池を巡る様にお堂が建っていました。
ここにも椿の花が。
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              本堂
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本堂の裏に安置されている仏像は108つもあるそうです。
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仁王門から境内へ続く参道で
ソテツの枝が頭上まで伸びているのにビックリ。
丁度階段の途中なので背の高い人は頭をぶつけそうでしたよ。

さて、金剛福寺には「足摺」に由来する伝説が残っているので
ちょっと紹介しますね。
昔、38番札所金剛福寺に和尚が小僧さんと二人で住んでおりました。
そこへ、一人の旅の僧がやって来ましたが、昔のことで、人里離れた寺に豊富な食べ物がある筈はありません。
しかし、小僧さんは食事のたびに、乏しい自分の食事を旅の僧に分け与えて食べさせていました。
それを見た和尚は
「一度や二度ならともかく、乏しい食物を毎度、お前のように分け与えていたら、私達二人の食事にも困ることになる」
と、小僧さんを叱るのでした。
けれども小僧さんは、その後も「今度だけだよ」と言いながら旅の僧に食物を分け与えていました。
すると、ある日のこと、旅の僧は
「これほどの情けは忘れがたい。さらば、わが住処を見せてあげよう」
と、小僧さんを誘って海の方へ出て行きました。
不思議に思った和尚が二人の後をつけていくと、二人は岬端に到り、一葉の舟に棹さして南へ向かって大海へと出て行くではありませんか。
和尚は泣く泣く
「我を捨てていずこへ行くぞ」と叫ぶと
法師から
「補陀洛世界へまかりぬ」と、いう返答がかえってきました。
そして、二人の法師は観音様になって、船の舳先に立っていました。
これを見た和尚は足摺りしながら、悲しみ泣き叫びました。
それからこの岬を、足摺岬と呼ぶようになったと伝えられています。

『とはずがたり』より
鎌倉時代後半期に書かれた、後深草院二条という女性によって書かれたとされる全5巻の日記・紀行文。
この他にも諸説あるそうですが
こういう伝説に巡り合えるのも八十八ヶ所巡りの楽しみの一つですね。